沿革 ~ History of USMEF ActivitiesUSMEFジャパンー市場開拓の足跡

1977年〜1990年

USMEFのアクティビティ&プロモーション
日米関係・食肉輸入の主な出来事
USMEF米国デンバー本部発足(1976年)
設立以前
牛肉輸入がGHQ管理から日本側に移管(1958年)
輸入牛肉の買入れ・売渡業務が畜産振興事業団 (LIPC)に一元化(1966年)
豚肉の輸入自由化(1971年)
円、変動相場制に移行(1973年)
USMEF日本事務所オープン(12月)
1977
1978
日米農産物交渉合意(12月)
ガット東京ラウンドは翌79年に締結、日本の牛肉輸入枠は82年度に13万5千トンまで拡大することが決定。
1982
デンマークで口蹄疫発生し禁輸に(3月)
食肉加工業界に大きな打撃。2度の発生で輸入再開は1983年7月まで1年4カ月を要した。
1983
アメリカが日本の牛肉等 13品目をガット提訴(3月)
“おいしい アメリカン・ミートを、よろしく”
1984
日豪牛肉協議合意(7月)
日米農産物交渉合意(8月)

1985年度の総輸入枠17万7千トン。 日米合意では1987年度の高級牛肉(HQB)枠5万8千トン。新たに同時売買入札(SBS)方式を導入。

米国で海外市場開拓のためのTEAマネープログラム創設
1985
プラザ合意(9月)
需要開発枠新設(11月)
1986
LIPC(現ALIC)が第1回チルドカーカス買入れ(6月)

USMEF単独でFOODEX JAPANに初出展
(以後2017年まで連続出展)

「うちら、お肉はアメリカよ。」
アメリカン・ミート・エクストラバガンザ開催
1987
「アメリカン・ポーク・ボナンザ」開催

自由化決定を受けて、スーパーではアメリカン・ビーフフェアが活発に実施され、またアメリカン・ビーフの販売常設店づくりが進んだ。 (写真上はダイエーのスーパーカーニバル、下は伊勢丹ストア)

ホワイトハウスの専属シェフの出版本を基に「大統領のお気に入りビーフ・メニュー」紹介ビデオを製作、東京全日空ホテルで発表会開催。
(写真右は大統領お気に入りのメニュー)

スーパーとタイアップによりクッキングスクールを全国で実施。

1988
LIPCが新SBSを導入(4月)
日米・日豪牛肉交渉合意(6月)

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仮合意文書に署名し握手するヤイターUSTR代表と佐藤農相。

「JAPAN BEEF COOK OFF」開始
1989

フィリップ・M・セングの本部会長就任(91年1月)が決定、アラン・R・ミドー会長は名誉会長に。

ミドー名誉会長
ミドー名誉会長
セング本部会長
セング本部会長
1990
特定牛肉調整品の 輸入自由化(4月)